(株)トークアイ代表取締役CEO 佐野良太 × 首都大学東京准教授 水越康介氏
潜在的なニーズを観察して、それを客観的な事実として定義するわけではない
佐野:「消費者に注目することを通じてニーズそのものを創造するマーケティングのあり方」というのは、観察者がそのニーズを創造するというか、定義することであって、潜在的なニーズというものを観察して、それを客観的な事実として定義するわけではない、ということですか。
水越:そうですね。ただこれも繰り返しになりますが、じゃあ、勝手にメーカー側のマーケターがそれを定義できるのか、これをやりたいとか、これを売りたいからと言えるのかというと、それはできない。やはりその接点のところでお客さんとマーケターが一緒にいるからこそ定義できるというか、了解できるという意識を持たないといけないと思います。現実はすぐにそこから離れがちで、マーケターが勝手にやるとか技術ベースになるとか、あるいはお客さんに聞くことで答えを探そうとして、結局何もつくれないことになってしまう。
佐野:そこら辺が隔靴掻痒というか、具体的にどうしたらいいのよ?という文句がでますね(笑)。一橋大学の阿久津先生が翻訳された「ZMET」の本、「心脳マーケティング」を私も読みまして、阿久津先生とお話もさせていただきました。「ZMET」について、水越先生は本書のなかで幾つか疑問を呈されていますが、例えば「マーケターと消費者の深いレベルでの相互作用と消費者の無意識なるモノを客観的に問い合わすことができるという二つの論点が混じり合っている」と指摘されていますね。
無意識や暗黙知、潜在的なニーズのようなモノはどこまでも確認のしようがない
水越:本書の一貫した主張ですが、お客さんの側に答えがあるというのは多分うまくいかないと思っています。無意識も同じで、無意識がお客さんの中にあるというのと、潜在ニーズがあるというとのを調べればわかるというのは、全部自然科学的発想になってしまっていて、それではうまくいかないだろうということです。「ZMET」の本を読むと、無意識をどういうふうに抽出するのかという説明として読めるところもあるし、いや、そんなものはないのだから、それこそ相互作用だとか対話だ、と言っているところもあったりしてどっちなのだろうと(笑)。
佐野:ザルトマン自身もそこは割り切れていないということですか?
水越:そうかなという気はします。偉い先生なのでわからないですが(笑)。本や論文を少し読んだ感じではそういう印象を持ったということですね。
佐野:さらに、本書ではザルトマンの言う無意識や暗黙知、潜在的なニーズのようなモノはどこまでも確認のしようがない、という指摘をしています。しかし「確認したい」という欲求はあって、ザルトマンはそのための方法論を提案しているわけですね。そもそも「ZMET」は宗教的な概念をベースにしてメタファーを定義していたと記憶しています。メタファーを使えば無意識が何か意識的な知に変換されるという主張についてはどのように思われますか。
水越:メタファーは大事だと思います。うまく表現されるかどうかわからないのですが、そのメタファーだけではなくて、メタファーを使って2人とか3人とかがやりとりするというその対話の形式というのが大事だと思います。話している中でメタファーを手がかりにして、誰も考えていないようなことが表出されるとか、それこそが後から見れば皆さんが共有して持っていた潜在的な知識または暗黙知だということで議論しやすくなります。そんな印象を「ZMET」に持ったのです。
佐野:そこでまた素朴な疑問です。「ZMET」では写真を使ったストーリーテリングをして、最後はメンタルマップを作ります。その作られたストーリーが、果たして暗黙知や潜在意識を反映したものだと言えるのでしょうか?
水越:それは簡単です、話した3人の中では了解したのでそう言えるということです。それを4人目に対してどう説得するのかというと途端に昔の話に戻ってしまって、そのためには正しいことを証明する必要があると、こういう話になる。だったら最初から4人目も含めて一緒にやったらいいのではないか。
佐野:ただ、そうすると4人ならいいのか、5人じゃなきゃいけないのかとか、n人にまで拡張しなきゃいけないのかと、そういう疑問は永遠につきまとってくるということですか。
水越:必ずしも全員で共有する必要はないのですが、マーケティングで言えば、その場に開発担当者は全員いたほうがいい、ワークショップには全員参加してその場で決めたほうがいいという、こういう話になってくると思います。
ラダリング法の問題点は、お客さん、調査対象者のほうに理由を考えさせてしまうこと
佐野:ラダリング法について「消費者になぜと聞いてはいけない」という指摘があります。ラダリング法というのは今日、質的リサーチ、例えばグループインタビューでも多用されるようになってきた方法ですね。ラダリング法の問題点というのはあまりにも一般化してしまうと、その事象自体から離れ過ぎてしまう点でしょうか。
水越:一つはコーヒーを飲みたい理由に人生の目的を言っても、うそっぽいということがあります。もっと言うと、ラダリング法の問題点は、消費者、その調査対象者のほうに理由を考えさせてしまう、というかなり変な、特殊なことを強いていることです。普通(消費者は)そんなことを考えずに買っているのに、敢えてそれを考えさせてしまうわけです。消費者が自分で自分を分析して説明し直すという作業を強いるので、何か変な操作が入っている印象です。本来、それを考えるのがマーケターやリサーチャーの仕事でしょう。消費者がこういう物があって、こういうふうに買ったと言ったときに、なぜ買ったのですか?と聞くのではなくて、彼はなぜ買ったのだろう?とか、なぜ彼は僕に買った理由についてそう語ったのだろう?というのは、こっちが考えるべきことです。そこが一番大事なポイントなのに、それを相手にやらしてしまうというのは、ダメなんじゃないかなと。
佐野:我々はすぐ「なぜ」と聞いてしまうのでしょうね。
水越:何ででしょう(笑)。一つはその方が楽だということでしょうね。自分がエッ!とか、どういうこと?と思ったときに、「何で?」と聞くのは日常生活では常識的でやりやすいことです。一方「本質直観」はまさにその何でと思ったときに、相手に聞くのではなくて自分に聞き直す、という方法です。そういう訓練がやっぱり新しく要るのかもしれません。
なぜと聞くことの弊害は語られてこなかった
佐野:なぜと聞くことの弊害は、マーケティングでもマーケティングリサーチでも語られなかった気がします。
水越:例えば松下幸之助が「なぜを5回問え」と言ったとか、そんな話がよく言われます。「なぜ」を問うこと自体はすごく大事だと思うのですが、それを相手に向けてしまうということの問題点を少し考えたらどうかということですね。
佐野:心理学に「選択盲」という知見があります。テーブルの上に二つの女性の写真を載せて、もちろん男性の写真でもよいのですが、どっちの人が好きですかと聞く実験をします。質問は「どちらの女性(男性)が好き?」という、ものすごく個人的な好みの問題です。それを答えさせた後、写真を手品のトリックで左右入れかえて、回答者が答えたほうではないカードを残します。多くの回答者は写真が入れ替えられたことに気づかないどころか、なぜこちらを選んだのですか?と訊かれると、すらすらとその理由を答えてしまうのです。これを英語ではChoice Blindnessと言います。
水越:それはおもしろい。
佐野:そういう実験結果を知ると、「なぜ」と人に聞くことがどれほどの意味を持つのだろうと考えてしまいます。
水越:心理学系の実験でそういうおもしろい知見があると聞くと、何かもっと精緻な議論ができるのかもしれない、そんなことを思ったりしますね。
水越 康介(みずこし こうすけ)
1978年生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。現在、首都大学東京
大学院ビジネススクール准教授。博士(商学)。専攻は市場戦略論(マーケティング論)、
商業論、消費者行動論。
Webサイト:水越康介私的市場戦略研究室 https://www.mizkos.jp
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