01、(株)トークアイ代表取締役CEO 佐野良太 × 首都大学東京准教授 水越康介氏社長ブログ これからのマーケティングリサーチを考える

社長対談:水越康介氏<6>

(株)トークアイ代表取締役CEO 佐野良太 × 首都大学東京准教授 水越康介氏

本質直観するとは対話すること

IMG_9439web佐野:次に、石井淳蔵先生の言う「一種の驚きとして与えられる主観的了解」についてお聞きします。石井先生は、これが結論ではないのだと、解釈学的循環が必要だということを言っておられます。石井先生はよくヤマト運輸の話を取りあげて、ヤマト運輸の創業者がニューヨークのマンハッタンで1ブロックに配送車を1台配置すればよいという驚きというか、ひらめきを得る、これは一つとしてそれは正しいだろうと言われます。ただそれは結論ではないわけですね。

水越:もともとの解釈学的循環のイメージは、仮説があって実際に調べたとき、調べることでその仮説が変わる、仮説が変われば調べる内容や調べる対象の意味もまた変わるということで、それを無限に繰り返すということでした。この手の研究は、それは正しいのかと言われた際に、この繰り返しをしていることを強調するわけです。

佐野:でもキリがないですね。

水越:無限の循環プロセスですね。よく言うのは、何回も繰り返したという主張と、繰り返す中で何かしら均衡に達したという切り上げ方でしょうか。

佐野:石井先生は「それこそ対話が重要になる」と言うわけですが、水越先生は「本質直感というアイデアからすればこの懸念は杞憂です」とも言われていますよね。先ほどの話とは反対のニュアンスを受けるのですが。

水越:石井先生の言う「解釈学的循環」は、1人でやるイメージがあります。ただそれだけだと不十分だから、次に対話が必要だと、こういうロジックになっているように思います。僕のイメージは、解釈学的循環と本質直観と対話というのはイコールになっていて、本質直観を1人でやったら確実に他者を必要とすることになるので対話になるというのか、本質直観するということは要するに対話することとイコールだということです。

佐野:私からすると石井先生の方はどうして分けられているのかというのが不思議な感じがします。

水越:ちゃんと聞いたことはないのですが、主観的なものと、要するに自分で考えるということと、他者と考えるということを、ひとまず分けて理論が作られていたかなと思います。だから、最後につなぐために対話というのを別途持って来る必要がある。

佐野:まず個人の中で完結したものがあって、完結したものについて対話をするわけではない、ということですかね。

水越:そういう印象です。

佐野:それが水越先生の言う「対話が重要であることは否定しないが、本質直観で見出すのは、その判断が自分のひとりよがりのものでなく、多くの日常的な知識に支えられているという世界です」ということなのですね。

水越:そう思います。

佐野:難しいのは、本質直観の帰結というのが主観を突き抜けて世界に至るということで、多分日常に至るということだと思うのですが、これは一体どういうこと状況なのかなかなか理解できません(笑)。ちょっと禅問答的な。

水越:平たく言えば、その対話が大事だよねというところを納得するという、身もふたもなく言えばそれだけです。

佐野:東洋哲学的に言うと、自分の中に戻っていくと自分の中に宇宙を発見するみたいな話なのかなと思いました。要するに自分という主観と世界とか周りの他人というか、他者というのは分離してないということに近いのかなと思ったりもします。

最初に「思う」がある

水越:近いと思います。最初にデカルトの「我思う」の話をしたときにちょっと違うかもと言ったのはそのイメージです。石井先生の批判になるのかもしれないのですが、「私が思う」とロジックを組み立てると、まず「私」がいて、「思う」が次に来ます。でも、それは間違っているのではないかというのがこの発想で、最初に「思う」がある。何か感じていることがあって、感じている理由は別に私が思っているかどうかよくわからなくて、みんなが思っているかもしれない、というところの思っているという現実があって、その上で私が、それは「私」が思ったのだととらえ直しているという、こういう世界観のイメージがあるのです。

佐野:それはデカルトの言うこととは違うということですか。

水越:詳しくはわかりませんが、たぶんそうですね。デカルトは私が思う、思えるのはなぜか。それは神によって支えられている、可能にされているのだということで、これは存在証明みたいなものだと思います。そうではなくて思うことが先にあって、思えるのはなぜかと考えたときに私が生まれたり、他者が生まれたりするということです。先にその生活世界があるというのが大事なポイントで、それをしかし現実には私がいると私自身は確信してしまっているので、私から出発していかにそのもっと手前の状態、思えているのはなぜかという状態にどうさかのぼるのかということを捉えたいわけです。それによって他者とか新しい意味での、昔の言葉で言えば間主観性みたいな、共通する認識をどういうふうに取り出すのかという話にこうつながっていくのかな。

”Connecting the dots”

佐野:ここでまた最初に戻ってきて、マーケティングリサーチというのはどちらかというと自然科学の方法、直観補強型思考で今までやってきた。でも、ここにきてそういう手法、パラダイムが限界に近づいてきているという認識がある。そうすると、一体何が新しいパラダイムなのかということになります。「大事なのは私の書いたことが客観的な事実かどうかではなくて、私がある確証を自分自身のうちでどれだけさかのぼって、読者の皆さんとの対話の契機になるものをどれだけ示すことができるかどうかという点にある」と書かれていますけれども、ここの「対話の契機となり得るもの」というのはそこでは何だというふうに考えていらっしゃいますか。

水越:具体的に何かというわけでないのですが、私が自分の生活世界というのか、日常を語った。でも、私自身が一応被験者になるというイメージで、契機というのはそれを読んだ方が、ああ、そうだなと思って納得するとか、えっ、本当にとか、なぜと聞きたくなるような驚きの瞬間、これをどのぐらい私自身として提示できるかどうかというのが大事かなと、そんなイメージですね。

佐野:この本全体を対話の契機にしたいというようなことですかね。本の最初にスティーブ・ジョブズのことを書かれていますが、先生が自分自身のことをさかのぼってどうしてこのような考え方をするに至ったかということを考えたときに、読んできた本のバラバラの知識がつながっていったと。スタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチで、スティーブ・ジョブズは”connecting the dots”と言っていますよね。

水越:ああ、なるほど。

佐野:スティーブ・ジョブズが言っているのは、ドットを置いているときにはそれが将来どういう意味を持つかはわからないということです。例えば彼は大学でカリグラフィーを学んで、大学は結局中退しちゃうわけですけども、そのカリグラフィーをやったということがその後のマッキントッシュの発明につながっていると言っています。パーソナルコンピュータが最初に出てきた時代にはいわゆるメインコンピュータで使われていたマトリクスのキャラクターを当たり前に流用していたわけですが、そこでフォントがコンピューターに必要だとひらめいたのは(ジョブスが)過去にカリグラフィーをやっていたからだということなのです。

水越:まさにそうですね。

囲碁のイメージ

佐野:そういう意味では未来を見通すことはできないのですが、彼の言いたいことはある意味囲碁に通じるのかなというふうに思います。

水越:私も囲碁を連想していました。

佐野:囲碁の対局の最初のほうを見ていると、どうしてここに石を置くのかわからないのです。だけど、終盤になってみると、あるところに置いた石が決定的な意味を持つということがあって、そういう意味で地道にドットを置いていくという作業というのが重要になってくるのかなと思います。ある意味無駄なことかもしれないのですが、その無駄に見えるけれども石を置いていくと、後からその石がバアッとつながって一つの面というか領域をなすことがあるのかなと思います。どちらかというと今までのリサーチというのはそういう無駄はなるべく省く方向を志向してきました。これからはより広範囲な知識とか教養がリサーチャーに求められていくのかなという気がしますね。

水越:一つは囲碁のイメージで、僕もこの本を書いているときにずっと囲碁のイメージがありました。実は囲碁をよく知らないのですが(笑)、その昔マンガを読んでいてそういう(石が)バアッとつながっていって面ができるイメージを持ちました。もっと余談でいくと石井先生は囲碁が好きだと聞いていますが、そんな理由があって好きなのかなとずっと思っていたというのが一つです。あと、リサーチャーの話でいくと、言われるように無駄に見えるようなこともやっていく必要がむしろあるとか、一般知識を持つ必要があるよねというのはまさにそのとおりですね。ただし、とにかくリサーチをたくさんしてストックしておけばいいのかという話になってしまうと、それはちょっと違うのかなと思っています。むしろその溜めておいても結局使えないままになってしまうので、何となく常にそういうものが大事だなとか、何か意味があるかもしれないなと自分のところにつないでおく必要がある気がします。それは結構大変なことで、慣れれば簡単なのかもしれないのですが、旧来的にこれが終わったからもうこれは全部忘れてしまおうというのでもないし、ゆるく、意識として記憶にとどめておけるような状態、そんなリサーチャーやマーケターが必要なのかもしれません。

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水越 康介(みずこし こうすけ)

1978年生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。現在、首都大学東京
大学院ビジネススクール准教授。博士(商学)。専攻は市場戦略論(マーケティング論)、
商業論、消費者行動論。
Webサイト:水越康介私的市場戦略研究室 https://www.mizkos.jp

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